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役を生きた記録 『伊豆の踊子』(1993年)

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1993年4月に、前回あげた”泣きたい夜もある『僕だけの女神』”TBS系
そして、6月14日と21日の2週で『伊豆の踊子』(テレビ東京)が放送されています。
これは、その後のビデオの宣伝↓にあるように、
日本名作シリーズの中の一作として、作られたもの。


第一巻は『雁』で田中裕子主演。他も、名だたる俳優さんの共演作。
そのビデオのシリーズの真ん中、一番の大きな写真が拓哉の『伊豆の踊子』というのを見ても
拓哉への注目の高さが判る。



この中央のシーンは、拓哉演じる川崎が、踊り子に、本を読んで聞かせているところ。

私的には、『伊豆の踊子』といえば思い出すのは、百恵ちゃんの映画。
で、百恵ちゃんの映画は、山口百恵初主演映画だったように、踊り子の薫役が主演って感時だったし
百恵ちゃんの前も、内藤洋子の・・・とか、吉永小百合の・・・とか、言われてるように思う。

この93年のドラマは、拓哉の名前が先


薫では無く、学生川崎を中心に話が回ってる気がする。

原作の本が、川崎の語りなんだから、そうなんだろうけど、ナレーションというか、語りも、拓哉。




写真のような学生帽と、着物・袴にマントを来た旅行スタイルで、の伊豆の山道を歩く姿
そして、深く優しい拓哉の声ではじまるの。

一高生 川崎は、拓哉20歳。
踊り子の薫は、早勢美里さん。



記事の中で、拓哉は、「可愛いよ。妹みたい。紗英と同い年なんだね。高校一年。」
って話してるけど、紗英ちゃんよりずっと幼い感じ。
だから、純粋な踊り子の役が似合うのかも知れないけど。

このドラマ『伊豆の踊子』は原作にほんと忠実なんだろうな。
この時代って、学生と旅芸人達への扱いとってもちがって、それが当たり前なんだよね。
言葉遣いも、そう。
拓哉が、川崎を演じるに当たって一番苦労したのは、そのあたりなんじゃ無いかと思う。
今では絶対にしない話し方だもの。
でも、ドラマの中、拓哉は自然にあの時代に溶け込んでるなぁって感じる。

ドラマの中で、川崎は2種類の帽子をかぶっている。
登場からしばらくは、学生帽。
この学生帽の威力ってすごい。
当時は、大学の数も人数も少なく、将来世の中を背負う大切な人って感じかな。
旅先で出会う人達が、「だんなさま」って呼び掛けをするんだものね。



川崎の学生帽の姿。校章で、一高(現東大生)と判る。

表情も凛々しいよね。


雨が上がるとマントを外して手に持っている。

途中で出会った旅芸人たち(↑の後ろの一行)と、一緒に異動していく中で、
自分もその中に紛れてもいいように他の帽子を買ってかぶってる。
この帽子姿、優しげでいいね。



そして、この帽子は、ドラマの最後で一行と別れるときに、親しくなった栄吉さん(柳沢さん)に。
はい、二つは同じ帽子です。

学生に、現実に戻るんだね。



『伊豆の踊子』現場レポの中で、この撮影時期の拓哉のスケジュールについての文章2つ。



片方には、スマのconcertの合間を縫って、伊豆と大船の撮影所を何度も往復したとある。
concertは、3月から5月にかけての「Spring”93”」ですね。
もう片方には、電撃キッズ(愛ラブSMAP)の撮影後→伊豆、
午前伊豆→午後は東京に戻って、愛ラブの3on3 を3本撮って→伊豆

ドラマの撮影でも、個人の仕事は考慮されないグループ優先のスケジュール。
ほんと、拓哉を育てるマネが欲しいと、ずっと、思ってた。

雑誌の拓哉の言葉に、萩原くんに、8代目は木村君がやるんだ~!!と、言われたという言葉があった。
『伊豆の踊子』ほんと、何度も映画化もされていて、いろんな薫の写真を見たように思う
8代目?だったので調べてみた。

最初は、戦前。 1933年(昭和8年)主演:田中絹代、大日方傳、か

1954年(昭和29年)松竹 監督:野村芳太郎。
出演:美空ひばり、石濱朗・・・。

1960年(昭和35年)松竹 監督:川頭義郎。
出演:鰐淵晴子、津川雅彦・・・・。

1963年(昭和38年)日活 監督:西河克己。
出演:吉永小百合、高橋英樹

1967年(昭和42年)東宝 監督:恩地日出夫。
脚本:恩地日出夫、井手俊郎
出演:内藤洋子、黒沢年男

1974年(昭和49年)東宝 監督:西河克己。脚本:若杉光夫
出演:山口百恵、三浦友和

映画化は、6回。
恩地監督は、内藤洋子さんが薫役の『伊豆の踊子』
脚本も、恩地監督。
拓哉のドラマも、この時の脚本を元にして作られたとあった。

そして、テレビドラマでは・・・。
連続テレビ小説『伊豆の踊り子』(NHK) 1961年(昭和36年)
出演:小林千登勢、山本勝

川端康成名作シリーズ『伊豆の踊り子』(KTV) 1973年(昭和48年)(全2回)
出演:栗田ひろみ、小林芳宏

『伊豆の踊子』(TBS) 1992年(平成4年)2時間1回
出演:小田茜、萩原聖人
萩原さんのは、見たことが無いけれど、すぐ前年だったのですね。

薫役、川崎役とも、その時代の若手俳優代表。
人気と力とがあってこその配役って感時ですよね。

Offショット
ドラマの中に出てくるワンコと・・・


役を生きた記録ー『花より男子』CDブックⅠ(1993年)

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ドラマHistory1993年 特別編
『花より男子』CD 花沢類役

↓雑誌の記事にもあるように、『花より男子』が連載されていたマーガレットの誌上で
連載1周年を記念して、「ドラマ化をするとしたら、誰がいい?」と、尋ねたら
ダントツで、拓哉に花沢類を!!という結果がでたことで、この企画が実現された。



CDブック。
音声のドラマです。
『花より男子』CDブックの特徴は、つくしや道明寺ではなく花沢類が主役なこと。



拓哉(類)のCDブックだったことが、CDジャケットからも判ります。

第1弾は、93年7月19日発売で、第3弾まであります。

↓は、CDブック1の紹介パンフ
















収録は、1995年の5月。
ドラマで言うと、この前にアップした『僕の女神』、『伊豆の踊子』と同じ頃ですね。

声のプレゼント。
拓哉のナレーション、素敵だから、これから、もっと、こういうお仕事もして欲しいな

役を生きた記録 『花より男子』CDブックⅡ(1993年)

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続いて、CDブック第2弾
↓は、第2弾発売の時の、雑誌マーガレットのもの。
ミニポスターというか、三つ折りで拓哉君の全身。








第2弾のパンフ。

















↓は、第1弾発売の時の雑誌にあった予約ページ。



7月16日発売。
CD2000円です。
”いま、人気ゼッチョー!!”と、あります。
この時から、25年。
今でも、人気ゼッチョー!です。

役を生きた記録ー『花より男子』CDブック

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『花より男子』CDブック 第3弾。
拓哉の花沢類。これで、シリーズ終了です。
↓は、CDブック第3弾の予約注文票。





使われている写真は、昨日アップした第1弾CDの予約票と同じですね。
発売は、7月22日。
第1弾が1993年の7月16日だったから、1年後ですね。


↓も同じく、第3弾の広告ですが。
こっちの方は、第3弾についていたレポと同じぐらいの髪。
1994年春の拓哉ですね。


第3弾CDブックのパンフ














今回も、目がハートマークになっている感じの、神尾さんのレポがついています。

役を生きた記録ー『あすなろ白書』(1993年)

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1993年10月~12月の連続ドラマ『あすなろ白書』

「その時ハートは盗まれた」は5回の連続ドラマだったので、初という言葉は当てはまらないかも知れないけど
1クールの放送と言うことから言えば、拓哉君の初めての連続ドラマ出演作品。

「あすなろ白書」
拓哉をはじめとして、あすなろ会のメンバーが、今も活躍してる。
そんな素晴らしいメンバー

園田なるみー石田ひかり(ピカ)
掛居保ー筒井道隆(ミッチー)
取手保ー木村拓哉(たっくん)
東山星香ー鈴木杏樹(あんにゅ)
松岡純一郎ー西島秀俊(ニッシー)

( )の中は、お互いの呼び名。↓の拓哉君の言葉の中にもある。
西島さんが、スマスマにゲストに来たときの話で、杏樹さんは今も「ニッシー」って予備とか
拓哉君も、「たっくん」って呼ばれて振り向くと杏樹さんだったとか
あと、BGの石田ゆり子さんとの会話でも、ピカとか、たっくんって呼んでる。
今も、続く仲の良さ。

↓は、あすなろ最終回に向けての雑誌の特集の中から
MYOJOの記事です。



色紙の中心にある5人の集合写真は、『あすなろ白書』のポスターの撮影時別バーション。
あんにゅが、たっくんの頭をギュッと押してるにいたずらを・・・
このショットも可愛くて好きです。




これは、YEARS BOOKにあった5人のショット。



放送から25年立った今でも、「あすなろ抱き」と言う言葉とともに
このドラマが多くの人の記憶に残ってる・・・って、素晴らしいよね。

あすなろ白書→あすなろ抱きというのもあって、木村拓哉のドラマと思われているけど、実際は、取手君は3番目。

ヒロイン、石田ひかり。
相手役、筒井道隆
そして、木村拓哉

でも、fanのひいき目で無く、拓哉が一番きらめいていた。
それは、ドラマ後半に、MYOJOで、「誰にらぶらぶ?」というアンケートをとった結果
掛居、松岡、の二人に、10倍以上の差をつけて、取手君が1位だったことからも判ると思う

役を生きた記録ー『あすなろ白書』その2

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扉をちょっとだけ開けたとき、あの取手君の手招きに逆らえる人がどれだけいるでしょう。

本来なら、このシーンの前に、なるみの大学入試のシーンがあって。
ラスト10分でシャープペンの芯が無くなったなるみに、隣の掛居君がシャープペンを貸すという
二人の出会いのシーンがあるのだけど、私の編集ビデオは、そこのところはCUTしてるので
最初のモノクロの5人でのモノローグから、





入学後にとんで、
なるみがピアノの音に引き寄せられて扉を開け、取手君が手招きをしたシーンから物語が始まるの。



君だよって、指さされて、



おいでって手招きされて・・・。

取手君に、ロックオン




花見に行こう!!!って、ところから



♪~TURE LOVEが流れて・・・・。

取手君の世界に入っていく。

↓は、MYOJOのあすなろ白書の特集の中にあった青教大学のセットの写真。



と、ぴかちゃんとたっくんの仲良し話


役を生きた記録ー『あすなろ白書』の5人の写真

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『あすなろ日記』の5人の画像。
一番よく見ることが出来るのは、↓のショット。
ポスターも、DVDのジャケットも、このショットが使われている



凄く爽やかで可愛い5人のショットだけど、少しばかりの疑問があるの。

不思議その1
何故、5人の中で一番前に取手君がいるのだろう?
私的には大歓迎だけど・・・。
主人公がぴかちゃん、そして、そのお相手の掛居君が、そのすぐ脇・。
そして、取手君、星香ちゃん・・・となる、↓の立ち位置が、石田に
ということで、↓のテレビジョンのようなならびが普通。



だけど、取手君というか、この場合は拓哉をかな。
一番前で、大きく映るところにしたのは、きっと、その方が画面として、引きつける力があるからなのじゃないかななんて勝手に思ってる。


不思議その2
取手君の髪の色が違う。



よく見たら、杏樹ちゃんの髪も明るく見えるから、光の加減ではあるんだろうけど、
ドラマの本編では、取手君は黒い髪だから、この髪の色で取手君というのは違和感が・・・。
まだ、ドラマ撮影に入ってないときの集合写真なのでしょうね。
華やかで、明るい大学生達の物語・・・というイメージを出したかったのかな?

取手君は、黒縁の眼鏡に黒い髪。


当時の雑誌の記事の中から
拓哉が眼鏡を掛けている役だと言うことで、嘆く女性に対してのつかこうへいさんの文章↓
拓哉君の瞳の力が強すぎるから、眼鏡でも掛けさせないと他が食われてしまう・・・と、語っています。
















『あすなろ白書』で、一番有名なシーンは。

「俺じゃダメか?」と、取手君が成美を後ろから抱いたこのシーン。


でも、他にも、取手君にはキュンキュンするシーンが一杯で。

成美を見つめる瞳がいつも切ない。


ようやく、なるみが取手君を振り向いてくれたXmasの夜。
この夜のシーンはどれも綺麗で好きです。



特に、このショット。


それから、


松岡の交通事故死を知った後。
「生きているって言うだけで、OKだよな」と、取手君が言うシーンも印象深いです。


あと、取手君が松岡君の事故の後に、青年海外協力隊の一員としてアフリカへ向かう空港でのシーン。





ほんと、優しくていい奴です。

あと、これは、MYOJOの記事。(松岡君、半分でごめんね)




役を生きた記録ー『盲導犬』(1989年)『聖闘士星矢』(1991年)

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木村拓哉が演じた世界。
テレビドラマが、1993年『あすなろ白書』まできたので、一旦お休みして、今度は舞台の話を、振り返っていきますね。


まずは、一番最初に役を生きた記念作品。
1989年12月 舞台『盲導犬』(日生劇場)
役名ーフーテン (拓哉17歳)



この舞台に拓哉君が出演することになったのは、ジャニーが蜷川さんに候補としてNさんと拓哉君の二人を紹介し
蜷川さんが拓哉を選んだ。
拓哉の煌めきと、中にある宝石のような素質が見えていたんだね。

雑誌にあった、制作発表の様子。



と、チラシ写真。



拓哉は、初めての舞台で、蜷川さんの言われることが出来なくて、とても辛かったことなど話してくれる。
でも、1989年の12月の舞台だから、舞台野時で、年齢は、17歳。
練習の時は、まだ、16歳。
そして、初めての舞台で演技するという状態だものね。
そのうえ、主役に次ぐ役。
内容は・・・唐さんの世界が難しい。チラシの説明を読んでも、内容が見えてこないの。



これは、実際の舞台「盲導犬」のちらし。



その裏



パンフレットでの拓哉の紹介ページ。



紹介(部分)


「盲導犬」の舞台を見たお父様から、この道を進むことを認められた。
それからずっと、まえを向いて歩いてる。

当日の雑誌の記事。




次の舞台は、Gとしてのもの。
1991年舞台『聖闘士星矢』ポセイドン役



少年星矢が兄弟たちと共に地上の覇権を争う神々の争いに身を投じる、という物語。
そのいくつもの闘い中で、「海皇ポセイドン編」が、
バンダイスーパーミュージカルとして舞台化されたもの。
期間は、1991年8月15日 -~9月1日。
場所は、青山劇場。



拓哉君は、海皇ポセイドン と、ジュリアン・ソロ の二役。



この二役について説明





聖闘士星矢の題名通り、主役は、「ペガサス星矢」で、
その兄弟4人「ドラゴン紫龍」「キグナス氷河」「アンドロメダ瞬」「フェニックス一輝」の
聖闘士5人を他の5人が演じ、拓哉君は敵役。

とはいえ、このポセイドンは、拓哉君だから成立する役だというのは、
実際の舞台を見て無くても、この舞台姿の全員の写真を見ても伝わってくる気がする。








役を生きた人、生きられなかった人ー『ドラゴンクエスト』(1992年)

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1992年にも、スマでの舞台がありました。

今回も、配役はいつもとおなじように、お山の大将になりたい人がなってる。

それは、そうとして、その彼の自分が一番と思わせたいというか
目立つ奴、気に入らない奴は、力で認めさせようとする、ヤン○ーな思考がしっかり表面化した事件。

どう思っても、舞台中にやることでは無く、責任感とか、ファンへの思いとかより、まず自分の利益という
この騒動からのことそのままの行動に、呆れ、嫌になった出来事があり、それが一番に思い出させる。

ドラクエの舞台の内容は、明日書くことにして、まずは、その騒動について、書いた過去日記を載せます。

-・-・-・-・-・-・-

2009年のWHAT'Smemoより・・・・
long long ago(2009/02/20)

2009-02-21 | わっつ

今日はこのメッセージから行くんですか? マジで。
読みたくないんですけど・・・で始まった、夕べのわっつ。
”木村拓哉があまり読みたくなさそうなメッセージを集めてみましたSP”

メッセージ1のところを↓にかきましたが、
ドラクエ中の喧嘩と怪我は知っています。
お友達に「BSスペシャル時代を駆ける栄光のアイドル達」を見せて貰ったときにビックリしたもの。
顔が腫れて、右の頬に何本か横に跡が残ってた。
傷跡を上からドーランで塗りつぶした感じで、そこだけ幾筋も光ってた。

ここ数回のわっつでの話を聞きながら、
拓哉君は何が言いたいんだろう伝えたいんだろうなって思って聞いてしまうの。
そんな深読みしなくてもいいのだとは思うけどね。

舞台は、キャパの関係もあって、凄まじい倍率になるだろうから
見に行ける可能性なんてホントないとは思うけれど、「避ける気はないです。」と、言う拓哉君。
多分、94年以降も降るようにあったと思うけど拓哉君に届かなかったんだと思う。
「アリは有りだと思う。」のなら、有ったらいいな。
素敵だよね。

これからは、拓哉君が飛びたい空を飛べるといいな。

ー・-・-・-

”木村拓哉があまり読みたくなさそうなメッセージを集めてみましたSP”

メッセージ、1
「キャプテンもメンバーと喧嘩したことがありますよね。
 SMAPがドラゴンクエストの舞台をやっていた頃に中居君と殴り合いの大ゲンカをした。
 顔に怪我をしてテレビに出演したとも。聞いた話なので真実を教えて下さい。
 ところで舞台はもうやらないのですか?
 舞台をやってくれたら、間近でキャプテンの演技に触れられると思うんです。
 ドラマと舞台の違いって何かありますか?」

非常に内容の濃いメッセージ。どこから答えればいいんですかね?
舞台のことですか?
舞台をやるかやらないかってのはおまけなんですか?

ああ、中居との喧嘩ですか? (・・・って、サブとの会話)

こちらはですね・・・事実です。
ピンポンってなったんでガチャッて開けたら、いきなり髪の毛捕まれて
言ってましたね。
「他のメンバーは、お前のこと嫌いなんだ!!」って。

中居とのケンカの話は前にわっつでチラッと話した事がある。
ゴローをひっぱたいたっていう話も、誰かに突っ込まれる前に自白しておきます。

SMAPが結成されたばかりの頃、
合宿所みたいな共有スペースがあって、そこに吾郎がずっといて、
共有スペースなのに、あまりにも片づけがされていなくて
「お前、ちょっと片づけろよ。」って言ったら、当時の吾郎ちゃんが
「ハイ、ハイ」って答えたけれど、全然片づけをしないから、
もう1度「片づけろって言ったろ!!」って言ったら、
再び「ハイ、ハイ」みたいな感じで、スタンドみたいなものを手で払うみたいなことをやったので、
これはもうやっていいなと思って、「いい加減にしろ!!」ってパチンと・・・。

かつてのSMAPはぐちゃぐちゃなグループだった。
ジャニーズ界の武闘派ですから。 他のチームないんですかね。

京都の南座で全員で出演していたドラゴンクエストの舞台の最中に・・・。
やたら髪をあいつひっぱるのよ、あいつ。
ロン毛を逆手にとられた感じがありました。あれビビルよ。
いわゆる殴り込みを受けたっていう事ですね。約10分間くらい。

舞台中だったっていうのは、良くないですね。
次の日チョー腫れてんだもん。
BSのインタビュー取材がはいってって、顔腫れた状態で出てた。

今は、みんなものを言わないからね。
やっぱり言うようにしていった方がいいんじゃないかと思う。
本当はいいたいんだけれど言わないっていうのは、みんなで削っていけたらいいなと思う。
いや、全然削れていないでしょ。まだ。
20年位じゃまだ何も削れていないですよ。きっと。
1992年の舞台出演は、グループでのものと、木村拓哉としての出演の2つ。

グループでの2回目の舞台。
8月1日から25日間。京都南座で行われた「ドラゴンクエスト」



同じ2009年のわっつで、今まで出演した舞台について話してくれているので,その日の日記から、ドラクエの舞台までのところを写しますね。

舞台の話(2009/03/06)わっつmemoより・・・・・

「ドラゴンクエスト」
♪テ・テ・テテテテ♪あのドラクエを舞台にするという事で、 1992年、夏。京都の南座。

こん時も、役どころが一人だけ違った。
ライアンというやつをやらせてもらったけど仲間と思いきや、ホントの姿は・・・・闇の帝王。
結局敵、俺?みたいな感じでしたね。
(ちなみに、この日のわっつでは、聖闘士星矢のことも話していて
やるってなって・・・俺、誰やんだろうみたいな、どーれかな?って思ってたら、俺、あのー、そっち側じゃなかった
一人だけなんか、ポセイドンっていう。なんで俺だけ敵なんっすか?っていう・・・と話してます。)

この南座っていうところの楽屋は、テイストがすべて和。
だって、歌舞伎座じゃないですか、普段は、南座って。
楽屋で、一人一人ノルマがあって、サインを1000枚書く。
空き時間を使って書いたけど、なかなかおわんなかった。

まあ、今回も、二役。


最初、味方として現れる「ライアン」



そして、それが、本当のすがたは、闇の帝王だったという。



うん。前回に続き、今回も確かに、敵役だけれども、
これは、もう、木村拓哉にしか演じられない。
もう、素晴らしくカッコイイ!!!!

この舞台は,全体を見ていないし、ゲームから遠い私には、Storyもあまり判ってないので
当時の雑誌から・・・

映像的には、部分的には、『愛らぶSMAP』や、『時代を駆ける栄光のアイドル』で少し見ました

ドラクエの舞台写真。
ライアンを演じている拓哉君。


上にアップした記事の中に、舞台について拓哉君が語っているところがあった。
文字も小さいし、長い文章なので、書き出してみますね。

 「ライアン」つて、最低のヤツつて感じなんだ。人は平気でだますし、仲間も平気で裏切る。
でも、前回やった聖闘土星矢の「ポセイドン」よりは性格いいよ(笑)
僕はいつもお芝居の稽古が始まると、腕立てやけんすいをして体力や筋肉をつけるようにしているん
だ。
稽古が始まる前にサイズを計って衣装を作ってもらうんだけど、
いざ稽古が始まって衣装が届いてみたら、それがすごくきつくてなんかレオタードみたいなの(笑)
それだけ筋肉がついたんだよね。
今回キャラクター作りには、ぽんと苦労したよ。
だってライアンの性格を知るベースが全然ないんだもん。
実際にドラクエをやったことないから、余計そうなのかもしれないけど。
マンガや小説の舞台化だったら簡単だよね。
読めばそのキャラクターの思っていることや性格、表情なんかは、ある程度分かるから。
「スーパーマリオの性格知ってる?」つて聞かれて答えられる?(笑) 
そんな僕に与えられた情報源はただひとつ、
台本。何度も何度も読み返して、台詞の裏に込められている、本性みたいなものを探したんだ。
どうせやるなら、とことん役作りをしたいからね。
自分たちが楽しむのは、僕にとっては二の次。
見に来てくれたひとたちに、いかにこの世界に入り込んでもらえるかが一番大事なんだ。
そしてお客さんの頭の中に、ゲームのドラクエだけじゃなく
「舞台のドラクエもいい」つていうイメージが残ればうれしいね。

あとひとつ、昨日あげた記事の

下に舞台の説明部分があるんだけど、その一部をアップします。



その説明にある、目の前で拓哉君が表現している大切なシーンがこれ。


ステージの上で、心を打つ演技がされている時に、その後ろで、ふざける。
とにかく、拓哉君に注目が集まるのが嫌。
真剣に取り組むことできそうのではなく、舞台の雰囲気を壊しても。自分が目立ちたい。

92年の時点で、この状態。それから、25年。
あゆみが違って当たり前。

離れてよかった。

役を生きた記録ー『花影の花〜大石内蔵助の妻』(1992年)

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花影の花〜大石内蔵助の妻(1992年12月日生劇場)

拓哉君は、忠臣蔵で有名な大石内蔵助の三男大石大三郎を演じている
雑誌にあったの大石大三郎のショットと舞台の様子。
凛々しい!



この『花影の花』は、副題ー大石内蔵助の妻。



”りく”から見た忠臣蔵(討ち入り)と、その後の物語で、
八千草薫さんの主演では、3回上演されていて、拓哉君が大三郎を演じた舞台が初演。

忠臣蔵で大石と言えば、大石内蔵助であり、長男の大石主税。
その二人を、さくらの花とすれば、影で生きた”りく”と、三男の大石大三郎は”花影の花”と、新聞広告のコピーにもある。



大石りくー八千草薫
大石内蔵助ー名髙達郎
大石主税ー森且行
大石大三郎ー木村拓哉

平岩弓枝さん、八千草薫さん、小野田ただしさん、森君。とともに。



その後、1995年に上演されたときには、大石主税と大三郎を、堂本剛君と森君がWキャストで演じている。

1992年10月25日の『象印ヒントでピント』に片瀬先輩の髪型の拓哉君がこの舞台のPRをかねて出演。
16分割とか、あの番組特有のクイズを、かなりの確率で正答してた。
たしか、「ヒッチコック」が正答の問題もあって、
拓哉君のヒラメキの素晴らしさととともに、映画などの知識の広さも発揮して
最後に、その回の優秀者に贈られる「象印賞」とか貰っていた記憶がある。
『花影の花』
拓哉が演じた大三郎は、討ち入りをした大石内蔵助の息子、主税の弟ということで
周囲からの期待に、押しつぶされ、りくとも上手く心を通わせる事が出来ない。
りくの苦しみと、ともに、忠義の士の子供の苦悩も描かれている。
そんな、大三郎とりくだけど、拓哉君にとっては、八千草さんとの共演は、素晴らしい思い出。





記事の横にあった、拓哉君のショットは、和製ジェームスディーンのまなざし・・・・かな。


八千草薫さんとは、2014年3月の二夜連続ドラマスペシャル『宮本武蔵』で、
22年ぶりの共演。

八千草さんが、この絵を大切に持っていてくださったことを、凄く喜んで
わっつで、話してくれてるので、当時のブログから、転記しますね。

2014年3月14日のワッツレポ(2014年3月15日のブログより・・・)

見所は、本当、たくさんあると思うんですけども、
ホントに、出演者の皆さんが、キャラクターに命を吹き込む上で、
本当に魅力的な方たちが・・・香川さんにしかり、沢村一樹さんにしかり。
真木よう子さんにしかり、ユースケサンタマリアにしかり、松田翔太にしかり・・・。

その他にもホント、この役にこんな方がっていう。
八千草薫さんと、もう一度現場で一緒になれると思わなかったので嬉しかったです。
いいましたっけ、わっつで、
僕は、過去に「花影の花」っていう舞台で
八千草さんとご一緒させてもらってたんですよ。
ものすごい前なんですけど。

その時に、八千草薫さんが舞台上で手を合わせるシーンがあって
それを、舞台袖で見てて、凄い綺麗だなって思って。
目に焼き付いてて。
スケッチブックに、自分なりに絵に描いたんですよ。
思ったより、これよく描けたな、似てるなと思って、

八千草さんに、その当時、「こんなの描いたんですよ」って、おこがましくも見せたら
「ああ」って、「これ、良かったら、いただけない?」と言われて、
えっ、まじっすかって、その当時、「ありがとうございます。受け取ってください。」
って、受け取ってくれたんですよ。

ふんで、今回ご一緒できて、自分からその話するのもなんだなぁって、
八千草さんの方から
「木村さん、覚えていらっしゃいます?」
「昔、私に絵をくださったでしょ。」と言われて、
「ああ、はい。覚えてくれてるんですか?」って、言ったら、
「なにいってんの、あの絵は、今でも大事に持ってます。」って。
それが本当に嬉しくて、
今まで自分が過ごして来た時間以上の再会が、今回いろいろ果たせて・・・。
ほんと、早く自分も見たいなと思ってる次第なんですけども・・・・。

↓WinkUpの記事。(拓哉君、森君)




『花影の花』


剣道をやっていたことが、時代劇に役に立ったと話してます。



大石主税が森君ということで、雑誌に二人の練習の様子も。




生きた役の記録ー「Another」(1993年)

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1993年グループでの舞台『ANOTHER』

南海の島に漂流した少年たちを描いたジャニーさん演出の舞台。
6人が、2つの舞台(東京のアートスフィアと京都の南座)に分かれての出演。
2箇所を衛星中継し、同時進行させるという。

『ANOTHER』

船で冒険に出た14人が遭難して2つの島にそれぞれ流されるというお話で、
「沈黙の島」・・・・拓哉、剛、慎吾。あとJrだった森田剛君、小原裕貴君他
「少年の島」・・・・中居、稲垣、森、KinKi Kidsの二人、井ノ原君、秋山純君他、

この『ANOTHER』は、2002年にも形を変えて再演されて
今の関ジャニ∞メンバー(当時は、関西ジャニーズJr)が、出演した。
そのあと、2013年に再々演されて、今のジャニーズWestのメンバーが出演してる。

私は直接見ていないので、当時の記事から・・・・。
『沈黙の島』のStory



30歳になった薫(拓哉)が登場して、漂流した昔を思い出すというオープニング。、


沈黙を守らねばならぬ・・・・薫の背負う真実が辛いストーリーです。





沈黙の島に漂流してきたのは、薫(拓哉)と、俊一他7名。



薫と俊一達は、時には島の人達と争いを起こすこともあったが、懸命に生きていこうとする。







しかし、キキラと翔の父親=島の主であるツェレマは、薫の幼い頃行方不明になった父親だと判る。
薫はその真実を自分の心に秘めたまま、1人沈黙を守ることを決意。
船の修理が終わり、島を離れようとしたときに、無線機からもう一つの島にいる優輝、巧たちの声が聞こえる。





父親の国を見てみたいという翔をつれて、薫は船を出発させ・・・・。
というようなストーリー。




この舞台時、拓哉君は、20歳。

生きた役の記録ー「洒落男たち」(1994年)

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1994年2月 『洒落男たち~モダンボーイズ』
これが、今のところ、木村拓哉の最終舞台。

このモダンボーイズの舞台は、NHKの”劇場への招待”という番組で放送されたのを
DVDとして、持っているので、何度も見た。

役名は、 「矢萩雄治」
共産主義の帝大生。                 

警察に追われて劇場に逃げ込み。
身を隠すため衣装を着て舞台に出たら、歌とダンスで一気にスターに。
”舞台の神様に好かれた男”
浅草レビューのスターとしての芸名は「浅草エディ」

舞台俳優としても素晴らしい力量の持ち主の平田満さんが、
エディを引きこんだ劇団の作家菊谷栄として舞台を引っ張って言ってくれている。
菊谷栄は実在の人物で、エノケン劇団を陰で支えた作家だと言われている人。

↓は、モダンボーイズの制作発表会のショット。



写真左から・・・木村拓哉=矢作雄治 有森也実=若月夢子 
河毛俊作=演出 平田満=菊谷栄 横内謙介=脚本

河毛監督は、フジテレビのプロデューサー。
この後拓哉君とは、1997年「ギフト」2001年「 忠臣蔵1/47」で監督されている。


↓は舞台稽古のレポ



パンフより~TOKYO演劇フェア1994年2月4日~13日



拓哉君が、力一杯「矢萩雄治・浅草エディ」を生き、歌い踊った。
「洒落男たち~モダンボーイズ」の舞台は、浅草にある劇場の舞台裏。
舞台野小道具が置かれ、化粧台が有り、ステージ中央には、舞台へ上がる階段がある。

(ストーリーを追って紹介するか、感想を中心にするか、書き方をいろいろ悩んでみたけれど¥・・・・
 当時の雑誌の記事と、NHKの劇場中継の映像のキリトリと使って書いていくことにしました。
 舞台上できらめいている様子が少しでも伝わったら嬉しいな。)
 
当時の様子が紹介された後に、本編のスタート。
座付き作家の菊谷栄を演じる平田さんがいる。
そこに同郷の工藤があらわれプロレタリア革命を志す同志として帝大生の矢萩を紹介。

帝大生・黒い詰め襟の学生服姿の矢萩。
凛々しくて、カッコイイ!!!




ある日、その矢萩が、警察に追われて逃げ込んでくる。
菊谷は、警察の目をごまかそうと矢萩の服を脱がせ顔に芸人のように白塗りをするよう指示するが・・・
追ってきた警察は、楽屋の隅で背を向けている矢萩を見つけ問いただす。

あわてて学生服を隠したため、シャツとズボン下のスタイル、白塗り途中の顔で引き出される矢萩。

菊谷は、初対面で矢萩が「歌が好きだ」と、言ったことを思いだし、「コーラスボーイ」だと、矢萩のことを紹介する。
不審が強まる警察官の前で、「コーラスボーイ浅草エディとして」好きな歌を披露するようにいう。

♪~When whippoorwills call 
   And evening is nigh
 と、当時流行った「♪~My Blue Heaven」を歌い始める矢萩。



当然無伴奏だけど、最初はおずおずと、そして徐々に、はっきりと歌を描いていく、
拓哉君の伸びやかで素直な歌声がステージいっぱいに響く。


とっさにコーラスボーイとは言ったものの、ここまで歌えると思ってもいなかった菊谷達が思わず拍手。

こうして、「浅草エディ」としてレビューのステージに立ちようになった矢萩雄治。

彼は、プロレタリア革命が出来ないもどかしさに時にいらつきながらも

ひとたびステージに立つと、拍手喝采で、
「舞台野神様に好かれてる!!」と、周りの人達にも言われるほどの素晴らしいオーラを放ち、
自らも、ステージからおりても、その陶酔から冷めないほど
バラの花をくわえたエディは、色っぽくて、華麗で!!!
まさに、舞台の花として輝いてる。

拓哉21歳。

ココまで、前半の内容・・・。

「洒落男たち~モダンボーイズ」の舞台より・・・・。



”舞台の神様から好かれた男””といわれたエディ。
舞台の彼から放たれるオーラに観客が酔い、その観客の興奮が、舞台エディに・・・。
魂が抜けたようになって舞台裏に戻ってきたエディ。




この↑の写真は、雑誌の記事からのキリトリ。
そして、↓は、舞台中継での同じシーンを撮った写真。



やはり舞台は生きもの。
10日間演じている間に、少しずつ変わっていったところもあるのでしょうね。

浅草のレビューを描いているこの舞台、
矢萩としてアパペラの歌声をはじめ、舞台の中でタップを踏んだりダンスポーズを決めたり。
夢子とのダンスもあったし、ハーモニカも聞かせてくれた。

舞台中継のそのシーンをコマ送りのように、つなげてみました。
華麗に踊る拓哉君の雰囲気だけでも伝わると嬉しいな。



細かいタップが華麗に決まっています。
ダンスの中での上着の扱いも上手い!!
色っぽい!!



夢子とのダンスシーン。


浅草に来る前に関わった男とのいざこざから逃れるため、一座を離れ上海に旅立とうとする夢子にプロポーズするエディ



でも、夢子はエディの前で、追ってきた男の銃弾に倒れる。





そして、菊谷にも召集令状が・・・・。
故郷から入隊するために浅草を去る菊谷との別れのシーン。

エディは、ハーモニカを吹き、歌い始める

曲は、「♪~My Blue Heaven」

エディの歌声は、堂々と、朗々と響く。
最初にも歌ったけど、このときの歌には成長と年輪を感じられる。

エディが、♪~When whippoorwills call  And evening is nigh 
I hurry to my Blue Heavenと歌いその後、ステージの人全体で
♪~夕暮れに仰ぎ見る 輝く青空  日暮れて辿るは わが家の細道
 
せまいながらも 楽しい我家  愛の灯影の さすところ
恋しい家こそ 私の青空

歌声が響く中、菊谷が舞台からおり客席の中に消えていく。

ファーストコンタクトから、大先輩!!

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岡本健一さんがゲストのメレンゲを見ました。
岡本さんと後輩との関わりの話の中で、いとうあさこさんが
あさこ:若い頃、木村拓哉さんをずいぶんかわいがっていらしたという・・
 (わしゃわしゃ、なでてかわいがる仕草をするあさこさん。)
岡本:そんな(かわいがってなでる様子・・)はしてないけど
 よく一緒に遊びに、この店が面白い。これ面白い、この音良いよ。・・・。
久本:それすごくないですか!!なんで、ピンポイトで木村君だったんですか?
岡本:なんか、寂しそうだったんじゃないですかね。
   向こうも、興味を持ってくれてた。

4月になってからのFLOWをはじめ。拓哉君側から岡本君との交友を聞いたことはあったけど、岡本君の言葉は初めて聞いた。
「寂しそうだったから」・・・
拓哉の姿が浮かぶ。
自分だけ名前を呼ばれなかった。のけ者にされた拓哉の。
あの頃、目に見えること見えないこといろいろあったんですよね。
その中で”先輩”として大きな存在だった岡本君。あの頃(から今も)岡本君がいてくれて良かった

↓、Ⅱ週間遅れましたが。4月第一回のFLOWです。
あの頃のこと今も鮮明に覚えている拓哉。
岡本君が話してくれる、20才前の拓哉の姿も可愛い。

-・-・-・-・-・-・-・-

拓哉:そもそも、自分と岡本くんの最初の出会い的な部分なんですけど。
 出会いというか、原宿の生活スペースに自分らが出入りしてたっていう状況じゃないですか?
岡本:そこに俺らがいて、生活してた?(拓:してた) まだ部屋もあった?
拓:いましたね。岡本君と、諸星くんと……。
岡:あと、(城島)茂がいたんじゃないの?
拓:いました! 耳かきしてました(笑)。城島茂は、耳かきしてました。

岡:じゃあ、けっこう後半の頃だよね。少年隊もいないし…。
拓:いや、ギリいた感じですね。
 植草君のいちごミルクみたいなやつが冷蔵庫に入ってて、美味そうだなと思って勝手に飲んで、
 元の場所に置いておいたら、すごい剣幕で「誰だ! 俺のいちごミルク飲んだの!」みたいな感じで。
岡:「はい」って言った?
拓:言わなかったです、言うわけないです(笑)。
 その時に、とある先輩が「おい!」って、言って
「 中居(岡:うん)、森(うん)、稲垣(うん)、香取(うん)、草なぎ(うん)、来いよ(うん)! 服やるよ」ってなって、
 あれ? 俺は?っていう感じになってた時に、
 ちょうどそのタイミングで、確か岡本君が(岡本:俺いたの?)通りかかって、
なんか、わかんないですけど、「おい木村! 飯行くぞ!」って言って、連れて行ってくれたんですよ。
岡:どこいったの?
拓:えっと、あそこです。原宿にあった「OH! GOD」
岡:地下のね。流れているところ、半地下のね。、
拓:唐揚げがのかってるピラフみたいなの? あれをご馳走してくれたんですよ。

拓:その時に、“この人は、こういう風にしてくださる人なんだ”っていう、感覚になりました。(岡:へ~!。)

拓:で、その後に,これも覚えているんですけど、岡本君に、「髪どこで切ってるんですか?」って聞いたんですよ。
そしたら、「通り挟んだ、あのビルの1階奥に入ってったところに『MORIO FROM LONDON』ていうのがあるよ」って言われて、
 へ~っていってそこに行ったんですよ。(岡本:へ~)
 お店行ったら、諸先輩方のサインが鏡のところに書いてあって、
 みんなここに来てるんだって思いながら髪切ってもらったのを覚えてています。
岡:当時はそこだったんだろうね。多分ね。
拓:それ、すっごい覚えています。
岡:全然覚えてない。

岡:俺覚えているのはテレビ東京にでてるのに、劇中ドラマにSMAP来たような・・・。。
拓:いや、うちらは、番組アシスタント的な感じで。
 全身マジックテープの素材でできているようなのを着て、お客さんが投げたボールが何個つくかという標的のようなことをしていました。(笑)
 そういうことを繰り返しているさなか、また、当時あった原宿の合宿所で、
 何のタイミングか分からないんですけど、黒のエレキギターを岡本君がくれたんです、。
 やるよって言われて、
 それからですね、自分がシャカシャカやるようになったのは・・・。

岡:その間なんなんだろうね。遊びにいったんだろうね。
拓:僕、72年です。
岡:おれ、49でしょ、おれ、69年だから、三つ下になるんだ。
 俺が、20ぐらいの時に、17。

拓:岡本君が19の時に滝の白糸やった。僕見に行った、日生劇場に。
 そんとき、僕、16なんです。
 17才との樹に、僕、盲導犬の時も出てたからな。

岡:その関係があったかもしれない。おれ、稽古場よく言ってるじゃない。
拓:僕が、ベニサンピットで、舞台を。それこそこのブースとサブを合わせたぐらいのSpaceで
 目の前で、お芝居してるのを見に行ったときに
 とんでもないことをしてるなこの人って感覚的に思って、それですごい興味わいたんですよ。
 そん時からじゃないですかね。

岡:拓哉が教習所行って、「俺仮免取ったんですよ、。」って
 仮免取ると、運転できる人と一緒に、ドライブできるように・・・。
 おまえいくつで取った?18の時?
 そん時、Zじゃないの。
 そのとき代車が来てて、クライスラーのね。ニューヨーカーっていって
 ベンチシートのやつだから、運転席と助手席が境のないやつで、
 「拓哉運転してみろよ。」って運転させて。
 俺が横に乗っていて、「いいじゃない?この曲かけようよ」。
 どっかの、陸橋カーブを拓哉が全然曲がり切れてなくて、
 俺が横で「そうじゃないそうじゃない」って言ったのが、すごい覚えてる。

拓:僕のところでは、方南町の信号のところでおまえ立ってろよって言われて、Zで迎えに来てくれたのを覚えています。
 とりあえず俺行くから、信号のとこ立ってろよって言われて、30分ぐらい立ってたら、来てくれて
 一緒に、高田馬場の中華とか(岡本:地元だね)連れて行ってくれて、
 それこそ、芝浦に会った、GOLDだったりとか、そういうところに
 「いかねえか?」って、一緒に連れて行ってもらって

岡:ココ面白いよ、こいつ面白いよって。
拓:走馬灯のように、いろんなシーンが出てくる。
その当時、男闘呼組とは別に、親交のあるドラマの人だとかカッコイイ人がいたんですよ。

岡:ROCKとか、すごい影響を受けてたから、
 でも、うちの事務所にいると、なかなかそういう交友が
 ROCKというか、ハードロックなのに、すごい影響受けてたから。
 自然と、こっちの方向で行った方が自分の楽な・・・・。
 髪の毛染めるとか、ピアスするとか、衣装も私服っぽい感じで出るって言うか、そういうのを開拓していこうぜ。って
拓:こういう先輩がいたんで、自分的には影響されて、金髪にしたじゃないですか!メッシュしたじゃないですか!
 先輩やってるから俺もやろうって、それで、
「光ゲンジのバックで、Youたち出てもらうから来なよ。」って、横浜アリーナでるってなって、
 金髪にしていったら「You最悪だよ!」って言われて、黒い髪スプレーかけられて
 スポーツ紙の取材に写ったみたいな。

岡:そっからもうちょっとたって、俺は事務所に呼び出されたことがあった訳よ。
「相談があるって、拓哉のことで」って、あいつなんかやったのかなって思ってったら
 上の偉い人と、担当のマネージャーとかいて
 「拓哉があなたのマネをして髪を伸ばしたり、メッシュを入れたり、ピアスしたり、
 ほんとに、あなたからものすごく悪い影響を受けてるから、
 あなたからやめなさいって言ってあげて、そうしたら、彼も切って更生すると思うから」って言われて、
 え、俺から言うの?俺から言えばやめるの? っていうか、俺、そんなダメ? みたいな。
 だめなの俺って(笑)
拓:あなたのマネを後輩がしているから、あなたが言うとやめるからっ言って。
 ていうオフィシャルなシーンなのに。言わされた人は。
岡:俺がだめなの?
 俺ってだめ?俺のやってること全部だめなの?

岡:分かった。じゃあ俺が言うよってなって。
 拓哉が売れてきているっぽい時だった訳よ。
 今、来るような感じだから、今好きなこと全部やれ!!って、
 伸ばしたかったら膝まで伸ばせ、絶対切るなって言ったことを・・・・思い出した。
 ありがたいでしょ!
拓:ほんと、ありがたいです。

拓哉のディレクション

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GYAO、木村さ~んは、 アニメ・声優の専門学校、体験入学。
アニメ・声優専門学校って、拓哉君を誘うのにとっても誘いやすいばしょだよね。

発声の指導を受けている部屋。
後ろで拓哉君が一緒に練習していることに気がついた生徒さんは、「すごい!」と熱い歓迎。
ここにいる人たちだったら、ハウルの声優をしたこともきっと知っている。
ジブリの声優って憧れだよね。
そんな人たちとの、つながりは、はやり声優経験話。

宮崎駿さんのハウルについての説明が『ハウルはね、星に当たった少年なんです。』
いわれて、困惑しながらも「ハイ」といった話は、
笑い声とともに、拓哉と生徒さんを一発でつないだよね。

「声というカテゴリーのみで、キャラクターを担うことによって、
すべて、感情も温度も全て、見る人に伝えなければいけないという
非常にハードルの高い仕事だと思ってます。」

宮崎駿さんのハウルについての説明が
『ハウルはね、星に当たってしまった少年なんですよね。そういう感じで・・・』
(ここ、宮崎さんのマネかな。学生よく笑ってる)という説明受けて
100%理解できてないのに、分かりました・・・といった話は、
笑い声とともに、拓哉と生徒さんを一発でつないだよね。

「実際にやってみてと言われたことって、できるのはその自身だから、
自分がどうすればいいんだろうって自分が全部担うのではなくて、
自分ができることは声だったり、温度だったり。
自分がスピーカーとして何ができるんだろうってことで、
頭でっかちになって考えがちなんですけど、
結局現場に行くと共演者がいてくれたり、監督がいてくれたり、
ここでいったら、多分先生がその立場になってくれていると思うんですけど
僕はそういう人たちとの共同作業だとおもっているので、
自分が全部背負うことは、難しいんじゃないかなと。
学校の人たちも、いてくれてるってことをもっと把握した方が良いんじゃないかな」


と、経験者として、真摯な、そしてあたたかいエールだね。

線とさんたちに、木村さ~んのインフォや、題名コールをお願いしての録音。
拓哉のディレクション。
上手いなぁ。
指示の仕方が的確で、
ほんと、上手に彼らを導いている。
指導なんだけど、上から目線のところは全然なくて、
一人一人に合わせてるし。どんどん言い作品になっていく。

いいなぁ。

生きた役の記録ー「若者のすべて」(1994年)

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「若者のすべて」
(1994年10月19日~12月21日・フジテレビ)
萩原聖人・木村拓哉主演。

↓6人は高校の同級生で、現在22才。



原島哲生(萩原聖人)は、心を閉ざした妹の妙子(山口紗弥加)を抱え、亡き両親が残した自動車修理工場を営んでいる。
ある事件が元で植物人間になってしまった、守(EBI)
その原因を自分のせいだと、みんなの前から姿を消した武志(木村拓哉)
武志は、昼夜違う仕事をしてお金を治療費にと、隠れて守に届けている。
その武志が好きな薫(鈴木杏樹)。
家の病院をつくため4浪中の圭介(武田真治)
亮子(深津絵里)は、勤めをしながらも女優を目指している。


あと、この図にはないけれど、深津ちゃん演じる亮子の彼(大沢たかお)。
父親(平泉成)
守の姉(川島なおみ)
最終話で哲生と武志を刺す少年が(井ノ原快彦)



映画「アウトサイダー」を意識して作られたらしい。
明るさ華やかさとは対面にあるような工場のある街での物語。



脚本ー岡田惠和。
監督ー中江功。中兄いとの初作品ですね。
そして、拓哉が”気持ちのメイクケア”をしてくれるという、メイクのうっちーさんにこの作品からお世話になってる。
主題歌 - Mr.Children「Tomorrow never knows」

第一話。
守のことで自分を責め、仲間からはぐれていた武志。
夜の踏切の向こうで振り返った武志の暗い瞳に引き寄せられた。

武志を生きている間、拓哉君は、下から覗くような視線が多い。
まっすぐ人を見ないんだよね。



ずっと、暗い瞳の武志だけど、だからこそ・・・かな。
守の意識が戻ったとき

病院の近くのベンチに座り、たばこに火をつける武志。


そして、足下に来た子犬を高く抱き上げるんだけど、あのシーンが、このドラマの中で一番好き。

(これ↓は、そのショットではないけれど、子犬を抱えた武志)

役を生きた記録ー「君は時のかなたへ」(1995年)

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「君は時のかなたへ」

1995年の単発ドラマです。(1995年9月18日)
拓哉がこのドラマで生きているのは、松平元康(後の徳川家康)
相手は、佐久間陣内( 伊原剛志)と刀を交えている時に、突如現代にタイムスリップします。

彼の怪我の手手をしてくれた病院の院長( 野際陽子)
院長の息子の順一(袴田吉彦)
看護婦の薫(持田真樹)
元康に使えていた鳥居伊賀守忠吉そっくりな居酒屋の大将 ( 板東英二)

ストリーテーラーとして、ドラマ冒頭に登場するサラリーマン(石井竜也)。

戦国時代。
戦場での元康。




ここからタイムスリップして現代へ

現代では、袖のないチェックのシャツにデニム



これは、気を失って介抱され長袖のシャツに着替えさせられたのを、
動きにくいという理由で自分で袖をちぎってとったため



シャツを着ていても、こうやって刀を構えると武士!!!です。

現代の風景の中にいても、元康として存在してますね。





どのシーンの元康もかっこいいけれど、特に・・・・
順一に連れられていったディスコでダンス(元康的には剣舞?)を舞う姿のかっこいいこと!!

薫と元康は心を通わせ合うけれど、元康は、元の時代へと戻っていく。

その、シーンです。



↑の写真。カラーのものは、ポポロの記事が多いのだけど、その画像とともにあった役に対しての拓哉の考え。



涙の元康

生きた役の記録ー「君を忘れない」(1995年)

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1995年の夏。映画『君を忘れない』公開。

拓哉君が生きたのは、戦闘機のパイロット。


特攻作戦に反発する海軍大尉の望月晋平(唐沢寿明)が率いる望月隊。
海軍少尉 上田淳一郎(木村拓哉)クリスチャン。
少尉 三浦草太 (反町隆史)輝かしい戦歴を持つ
少尉 佐伯正義(池内万作)ピアノでジャズを弾く。妻子がある。
少尉 早川乙彦(袴田吉彦)東京帝国大学卒。
一飛曹 高松岩男(松村邦洋)水を飲んでも太る・・・。
一飛曹 森誠(堀真樹) 整備兵上がり。

戦争末期、愛する人を守るために飛んでいくのだ。
特別攻撃隊(特攻隊)として。
佐伯に、俺たちの代わりに生きてくれ、次の世代に俺たちのことを伝えてくれと頼んで。
操縦席にのった上田が、「俺たちみんな間違っています」と言いながら、みんな爽やかな表情で。

『君を忘れない』のパンフを開くと、作家の安部穣二さんの言葉がある。

安部さんは「塀の中の懲りない面々」などの著書がある、強面のかた。
この中で、映画のこと、俳優木村拓哉のことをすごく認めてくださってる。
なんの予備知識も無く、この映画の中で、初めて、木村拓哉という俳優を見ての感想が凄く嬉しい、


そして、映画についても、絶叫し怒号するより戦争の残酷さが観客の胸を締め付ける・・。と書いてくださってる。
↓安部さんの文章のあるページです。


この安部さんの言葉で、すべて語られているように思うけど、映画『君を忘れない』について・・・。

戦時中の軍隊なら坊主頭というか、短く刈り込んだ髪で有るべき・・
個人個人は存在しない。すべてはお国のため・・・私たちの思い描く戦争映画。



でも、君を忘れないのポスターを見ると、そのイメージとは違うことが判る。
それは、事実を無視して、都合のいいように勝手に作ったからではなく、
時間を掛けてしっかり調べ、当時の搭乗者の指導を仰いだりした上で、
特別攻撃隊員という最悪の状況で、どう死んでいったかではなく、どう生きたかを描きたいという主旨で描かれたから。
その姿を描くことで、戦争の悲惨さを若い世代に伝えたかったのだと。

この映画の企画プロデューサー 小滝さんのインタビューから



これによると、1995年公開の『君を忘れない』の企画の出発は、1992年
完成までに足かけ4年かかっている。

登場する飛行機の操縦の様子や、使われる用語、隊員達の服装など、
詳細にわたり、実際に戦争中に搭乗員だった方にチェックを受けたとある。

海軍と陸軍との雰囲気の違いというのは、私も、戦争経験のお話会で聞いたことがある。
海軍では、英語も使ったという。
髪の長さもだったのですよね。
髪を伸ばしたパイロットも実際いた・・・当時の乗組員の人が言うのだから、間違いない。


キャスティング条件は、笑顔の素敵な人。
そして、ガンガンのアップに耐えられる人

本の長谷川さんのインタビューから・・・・



青春群像劇。その思いは、ポスターやパンフでも感じる。
一人一人に物語がある。



映画の中の拓哉君の髪の長さについて書かれたところ・・・・


拓哉君の、映画への思い。


(記事、写真は、映画のビデオジャケット、パンフ、1995年キネマ旬刊などの雑誌より)

↓は、この映画のベテランスタッフさんからの、拓哉君評。


これだけの熱いコールがあったのに、そのあと映画に登場するまでに10年を要した
それは、拓哉君までオファーが届かなかったから・・・。

役を生きた記録ー映画『シュート』(1994年)

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「君を忘れない」について書き終わった後、一作品とんでいたことに気がついた。
ごめんなさい。
久保先輩!!

1994年の映画「シュート」

大森監督の話が出ていた
つい最近、地方でシュートが上映されて、大森監督のトークショーがあったという。
大森監督のトークショーは、以前も(3年ぐらい前だったかな?)あって
参加された方のレポを読ませていただいた覚えがある。

大森監督やスタッフは、SMAPの誰が誰かわからない状態で
一番人気があると聞いていた拓哉君を主人公に者スティングして、Jに提案したら
反対されて、映画の配役になった。他も全部事務所が決めたという話。

そして、「木村君は、当時からやっぱり違った。」ということ。
拓哉君の初日に、1人だけのシーンを撮った。
スタジオで、ラッシュを見た時に、スタッフ一同が、息を呑んだ。

(多分、このシーンだった野だと思う。映画の最初、駅のホームでの久保先輩。)


『スターの誕生に立ち会った瞬間』確か、そんな風に表現されてた。
現場で見てるときは、それほどとは思わなかったけれど、フィルムで見ると
輝きが違って、圧倒されたとおっしゃっていたと思う。

ビストロに、初めて尾上松也さんがゲストとして登場した時に、
シュートも何回(何十回)も見てる!!
「あの、トシ、サッカー好きか?」にドキドキすると言って、
何とか、拓哉君に「松、歌舞伎好きか?」と言って貰って、めろめろになっていましたよね。

それまで、松也さん?って感じだったけど、あの言葉には「判る判る!!」っておもった、。

あの”久保先輩が振り返って微笑む”
あのシーンを手元に置いておきたくて、シュートのビデオを買ったと言っても過言では無いの、


『トシ、サッカー好きか?』と尋ねる、何回かのシーン。

1人海辺での白いシャツ姿。

久保先輩リピです。

キャスティングの話。
最初聞いたときは、何故に拓哉君が主役じゃダメなのって、Jのやり方に納得いかないなぁって思ったけど
一つには、拓哉君のスケジュール的な物もあったんだろうな。

だって、このシュートの撮影が行われた時期って、「あすなろ白書」と重なる。
当時の雑誌を見ても、あすなろで深夜まで撮影して、次の日に朝早くからシュートの撮影とか書いてある。

そしてなにより、役柄。
あとから、もし、拓哉君がトシだったら、久保先輩は誰?って考えたら・・・

サー-カー選手としての力も、人柄も、すべて含めて、みんなのあこがれの先輩。

トシになった拓哉君も憧れる存在だものね。

途中退場という役でも、圧倒的な存在感。煌めきで、駆け抜けた拓哉君の久保先輩。
この『シュート』の演技で、『石原裕次郎賞』を受賞したんだよね。

このシュートは、「あすなろ」と収録が重なっていた時期があって、
ものすごくタイトなジュールの中での撮影だったのが、↓記事でも分かる



あの、久保先輩の10人抜きシーンも、「あすなろ」終わりのすぐに「シュート」という状態での撮影だった。


役を生きた記録ー『人生は上々だ』(1995年)

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『人生は上々だ』
放送は、1995年10月13日 ~ 12月22日
連続3年間 10月から12月のクールの連続ドラマ。

浜田雅功さんとの初共演で、W主演。

自分のせいで恋人を死なせてしまって、自暴自棄になり、ギャンブルに溺れ、
借金が膨らみ、サラ金に追われている、元医大生が、拓哉君演じる大上一馬。


その一つのサラ金、多田金融(内藤剛志)の取立て人が、浜ちゃん演じる内藤八郎

追われる男(一馬)と借金取り立て屋(八郎)に芽生える不思議な友情。
一馬と八郎で、一八コンビ。一か八かの二人。



そんな一八コンビの周りの女性に・・・

八郎が、借金を取り立ててから、好きになってしまう女性:七重(石田ゆり子)。
だまされたとわかっても一馬に惹かれていく女性;早乙女佐織(戸田菜穂)


八郎のことが好きななに素直に言えない女性:心(飯島直子)



他に・・・
一馬を病院の跡継ぎとして、娘との結婚を許す、彼女の父親(峰岸徹)
八郎が使われている多田金融社長。いわゆる怖い人(内藤剛志)

この何事にも上手くいかない一八コンビ。
時には、詐欺まがいの婚活も、わらっちゃう。


八郎が捕まり、彼の家族(七重と息子)のクラスを支えるために、早乙女病院の医師になり佐織と結婚する一馬
ヘアスタイルも、ギャンブラーから変わります。


子どもにも慕われている一馬。


拓哉君と浜ちゃん

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FLOWのゲストは浜ちゃん。
そのときのトークでもあったけれど、この作品が二人の初共演。

でも、すぐに気が合ったんだろうね。
撮影の合間のショットの楽しそうなこと。







↓は記事の一部(クリック)。



「今までのアイドルとは、ちょっとちゃうでこいつ」って、拓哉のこと思ってた。と、浜ちゃん





-・-・-・-・-・-・-・-・・-・-

火曜サプライズ
ゲストの竹内涼真君が、好きな俳優さんは、木村拓哉さん
木村さんの”月9”は、全部見てます。
「PRIDE」をあげていた。

アポ無しのロケ、相手は、拓哉大好き!!な藤森君と、ジャニースに熱い青木アナ
まだ、共演したことがないと残念がる竹内君に、
一緒の番組に出た藤森さんが「この火曜サプライズでも一緒した」というと、自慢すると
「見てました!!」と竹内君。
ほんとに好きなんだね。

藤森君が、LINEの交換をしたことを伝えると、ほんとうらやましそうで・・・。
竹内君、早く拓哉と共演できると良いね。

ツィでも、この頃、拓哉に憧れていた、ずっと、見てた!等の発言をよく耳にするようになたよね。
きっと、ずっと、以前からそうだったんだろうと思うけれど、”木村拓哉”として存在するようになってから、表現したすくなったんだろうね。

ちびのんが今夢中になってる伊藤健太郎君も、
「憧れている俳優は、木村拓哉さん」って。雑誌のインタでも答えてた。

ロンバケ会を開いてるって言ったのは、斉藤工君。
松山ケンイチさんも、小さい頃からずっと見てた。
BeautifulLifeみて、美容師になろうと思った・・って言ってくれたよね。

Gにいたときも、ロンバケ見て瀬名のピアノを練習したと、小栗君や、佐藤隆太君たちが言ってたけれど。

木村拓哉で存在するようになってから、一層耳にするようになった気がする。
気兼ねせず、”木村拓哉さんが”って、言えるようになったのでしょうね。
憧れてた・・・。真似してた・・・。共演したい・・・。
嬉しい。

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